東日本大震災ボランティア

Volunteer

2012年3月18~20日に宮城県の南三陸町と岩手県陸前高田市へ医療ボランティア

 

福島医療ボランティア(2011/10/9~10)

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強行スケジュール三泊二日で福島県郡山市ビックパレット、いわき市避難所二箇所を回りました。福島県の方々は地震と津波と原発と3つの大きな問題を乗り越えようとされてました。最初の感想は放射線量が高い郡山市では不思議な空気の質感を感じました。目に見えない放射線。空気を思い切り吸えない不自由さ。しかし郡山市の方々も医師も含めてマスクをしている方は半数以下でした。医師の説明では避難所の方々の意識はここ二週間で変わったとおっしゃってました。それは家に帰れない現実の受容、そして未来を見ようとする意識が出てきたと言います。しかし実際の反応は様々でした…。ビックパレットの中は段ボールで区切り、寝場所を確保する簡素な物でした。池袋のホームレスロードのようだと医師は説明してた通りでした。中は丸見えです。プライベートはまったくありません。

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最初に治療させて貰ったおじいさんは比較的ハードルの高い区域でした。その区域はなるべく干渉して欲しくないと希望する方々がおられる所。そのおじいさんから発せられた言葉は東電への怒りでした。失う物があまりにも多すぎる…。そのおじいさんの言葉は深く心に響きました。家を失い、家族や親戚がバラバラに住まなければいけない避難所生活。みんな、我慢の限界に来てると言っていました。僕は治療の最後に、大阪から治療に来させていただいた趣旨を説明しました。自分が福島に来たのは自分と家族で決めたこと。僕の家族、友人、そしてうちの大阪の患者さんたちがみんな福島の方々の為に何かしてあげたいと切望していること。多くの方々の思いと義援金と湿布などの物資とともに来たのだと。おじいさんは涙を流されてました。つられて僕も泣きました。握手を交わし、静かに去りました。